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「生きものとは何か」

 昨日、関東ではお天気が急変し、雹が降ったとか。ニュースでは、箱根で観光客が逃げ惑う姿が映し出されていました。春先の天気は怖いですね。まだまだ用心が大事です。

 さて、今日、明日は県内各地で中学校の卒業式。合格発表の前に、3年生は学び舎から巣立ちの時を迎えます。今日、卒業式を迎えたみなさん、また明日卒業式を迎えるみなさん、おめでとうございます。義務教育を終えるみなさんの未来に、幸多かれと祈りたいと思います。

 

 今日は、先週末の本屋さん通いで、手に入れた新書を一冊紹介します。

 ちくまプリマ―新書の「生きものとは何か」。本川達雄さんの書いたものです。副タイトルは「世界と自分を知るための生物学」。この「ちくまプリマ―」は、初学者向けのシリーズですが、本書は、ページ数300を超える大作。私にとっても「プリマ―」どころではなく、間違いなく読み応えのある本です。

 

 でも、生物大好きの私にとっては、とても興味を引く本です。せっかくですから冒頭の序章の一部を紹介します。本川先生がなぜ生物学に進んだか、丁寧に説明してくださいます。大学の学部選び、専門選びに迷っている生徒のみなさんにとって、とても勇気をもらえるところです。少し長くなりますが、紹介します。

 

  「ぼくは生物が嫌いだった」

 

 「生物がお好きなんでしょう?」とよく訊かれる。生物学などという浮世離れした学問をやるなんて、よほどの生きもの好きだと思われるようだ。それも道理。

  中略

 

 ところが私は生きものは好きではない。殺生は嫌いだし、イモムシは写真を見ただけでもぞぞぞーっと虫ずが走る。なのになぜ生物学者になったのか。

 

  中略

 

 高校二年の時に進路を決めねばならない。理科系が得意な生徒は工学部に進んで物を作り、文科系の得意な生徒は商・法・経済学部に進学して作った物をどんどん売ろうというのがおおかたの選択だった。そこで、はた、と考えてしまったのである。これ以上豊かになる必要があるのだろうか? 豊かになるのは悪くはないのだろうが、何も全員、そろいもそろってそっちの方角に走って行くこともないだろう。一人くらい、直接は世間の役に立たないことをやる人間がいてもいいのでないか。

 実務に役立つ学問が実学、「役に立たない」学問が虚学。虚学をやろうと思ったのである。となると進学先は文学部か理学部。学生服のポケットにいつも小説や詩集の文庫本が入っている生徒だったから、文学が嫌いではなかった。しかし当時の私には、文学部とは心のことばかりを扱っていて、どうにもやっていることが偏っていると感じられた。では理学部はどうか。当時のよくできる生徒はみな湯川秀樹や坂田昌一にあこがれ、素粒子を研究しようと物理学科に進学した。これもやっていることが反対方向にものすごく偏っている。

 そういう事態に納得がいかなかった。一方は心ですべてが分かると言い、他方は基本の粒子である素粒子・原子・分子ですべてが分かると主張している。心と素粒子とは両極端。どちらか一方だけで世界全体が理解できるとはとても思えない。

 そこで全世界を見渡しながら、世界や、その中での私自身を理解したいと考えた。心と素粒子の中間の位置に立ったなら、全世界を見渡せるのではないか。中間の位置とは生物学あたりではないだろうか見当をつけ、生物学科に進学した。

 ところが分子生物学が隆盛になってきた時代であり、生物学においても、生体分子や遺伝子という基本粒子で生物を理解しなければ時代遅れだとする風潮だった。現代ではさらにその傾向が強まっている。それでもなんとか初志貫徹。この五〇年間、世の風潮に逆らい、中間の立ち位置から「古典的生物学」を研究してきた。そういう「古くさい」人間が、生物をどんなものとして理解したのかを書こうと思う。

 

 

という調子でスタートします。「古くさい」人間が、頑固にこだわって、どんなことがわかってきたのか、そのへんが興味深く書かれています。私もこれから読み始めるわけですが、本川さんは、かつて『ゾウの時間 ネズミの時間』を書き、ベストセラーになった人。生物学の先生ですが、なぜか長く東京工業大学に勤務されました。モノ作りの研究をする学生に生きものの世界を延々と語り続けてきたわけです。これだから大学は、オモシロイと思います。

 ぜひ、本書で学問の世界の「遊び心」の一端をのぞいてみてください。

 

今日は、このへんで。