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是枝裕和氏・・・「ヌガー」

 第4期定期考査が終わりました。生徒のみなさん、お疲れさまでした。手応えは、いかがだったでしょうか? 終わったからといって、安心することなく、次の学びに進んでほしいと思います。3月は、後期入試期間が続くため、登校が必要でない日が長く続きます。計画的に学習を続け、新年度につなげてほしいと思います。さらには、この3月は、教科書から離れた学習も必要かもしれません。長い小説にチャレンジするというのもよろしいかと思います。

 ちなみにです。昨日今日と、国公立大学の二次試験がありました。ネットで見ると、主な大学の二次試験の問題を見ることができます。国語科の教師としてしばらくやってきた自分としては、やっぱり見てしまいます。

 ということで、たとえば京都大学の国語の問題には大岡信と谷川俊太郎の対談『詩の誕生』からとられています。文章自体は、対話文ですからとても平易です。読みやすいです。その分、詩というものに対する一定レベルの理解が必要です。

 一方、東京大学です。有名な大問四。今年は、是枝裕和氏の『ヌガー』からとられています。エッセイに近い文章です。「迷い子になった。」で始まる、ある意味で「迷い子」についての是枝氏の考え方がエッセイ風に書かれています。ところで、是枝裕和氏と言われて、すぐ「万引き家族」が思い浮かぶでしょうか? 氏は、もちろん「万引き家族」を作った映画監督です。日本時間で、アカデミー賞が昨日発表でした。期待されていたのですが、残念ながら受賞を逃しました。でも、今、日本で、というより世界中から注目される映画監督の一人です。その方のエッセイが東京大学の二次の問題に登場しました。これだから、本読みはやめられません。映画もまた。この是枝氏の文章を問題文として採用した東京大学に敬意を表したいと思います。大問四の精神は、しっかり継承されています。

せっかくだから、問題文の後半部分を紹介します。

 

 前半 略

 

 迷い子になったときにその子供を襲う不安は、両親を見失ったというような単純なものでは恐らくない。それは、僕のことなど誰も知ることのない「世界」と、そしてその無関心と、否応なく直面させられるという大きな戸惑いである。その疎外感の体験が少年を恐怖の底に突き落とすのだろう。自分を無条件に受け入れ庇護してくれる存在の元を離れ、「他者」(それが善意であれ、悪意であれ)としての世界と向き合う――人が大人になっていく過程でいずれは誰もが経験しなくてはいけないこのような邂逅を、予行演習として暴力的に体験させられる――それが迷い子という経験なのではないだろうか。だからこそ迷い子は、産まれたての赤ん坊のように泣き叫ぶのだ。たったひとりで世界へ放り出されたことへの恐怖から、これでもかと泣くのだ。そして、どんなに泣いても、もう孤独に世界と向き合っていかなくてはいけないのだと悟った時、少年は迷い子であることと訣別し、大人になるのだと思う。その時を境にして、母は、自分を包み込んでくれる世界そのものではなく、世界の片隅で自分を待っていてくれるだけの小さな存在に変質してしまう――。かつて迷い子だった大人は、そのことに気付いた時、今度はこっそりと泣くのである。

 

後半  略

 

問一 ~ 問三 省略

問四 「今度はこっそり泣くのである」とあるが、それはなぜか。説明せよ。

 

この問四に対して、どんな解答が可能なのか。受験生は、どんな解答を書いてくるのか。採点官の快感や、いかに。

 

今日は、このへんで。