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校長室にて8/24

  8月も残り少なくなってきました。季節が回り始めて、うちのサルスベリは、ピンクの花を咲かせ始めました。サルスベリが咲き始めると、秋の入口かなと思うところです。
さて、先週まで本校は午前授業、午後は実力養成講座でしたが、今日から午後も普通授業となります。ただし、今日、明日と3年次のみなさんは、実力テストです。共通テスト対策の実力テスト。初日の手応えはどうだったでしょうか? なお、公務員志望の生徒は、明日、公務員模試が実施されます。それぞれの進路実現に向けて頑張ってほしいです。
ところで、今日の昼休み、2年次の生徒のみなさんが校長室にやってきました。なにやら相談らしいです。聞いてみると、きっかけは夏休み明けのこちらからの問いかけにあったようです。こんなことを話しました。
「さて2年次のみなさん、25回生のみなさんは現在、本校の中核の年次です。宮城野高校生の主体性、自主性はどこで発揮されるのか、みなさんの知恵が試されるところです。みなさんの「そうぞうりょく」に期待しています。」

みなさんの、その「そうぞうりょく」がとてもたのもしいです。ありがたいです。どうぞ、係の先生に自分たちの思いを話してみてください。

昨日、東北大学の文学部AO入試の小論文問題を読んでいたら、とてもワクワクするような文章に出会いました。
少し紹介したいと思います。みなさんに、私からのプレゼントです。

 『リアルに』想像する・・・・塩原良和

前半 略 ~
ここまでの議論をまとめ、越境的想像力を次のように定義したい。すなわち、それは物理的・象徴的な移動を通じて他者と出会い/なおそうと望むことであり、そうした他者が生きる、自らの共感の範囲を超えたリアリティーを共約不可能性を前提としながら理解しようとし続けることであり、そして、他者たちと場所を共有する共生/共棲の関係を結んでいこうと努めることである。したがって、それは必然的に他者との対話を伴う。そこから示唆されるのは、他者との対話には、他者をその他者が望むあり方になるべく沿って想像する(すなわち、他者を適切に承認する)責任が伴うということである。シンプルにいえば、越境的想像力とは、境界を越えて出会う他者を承認し、共生/共棲するために対話しようとすることなのである。
~ 後半 略

「越境的想像力」がキーワードです。
宮城野の生徒にもいろいろな意味で「越境する」積極性をもっともっと持ってほしいと思います。

今日は、このへんで。8/24  記