ブログ

学びのあり方続編

6/3の記事の続き。鷲田氏のコメントは、こう続きます。

 

 芸術大学は、実技系の大学だ。だから学びの基本に、製作と演奏の技術がある。いってみれば〈いのち〉の表現と身体使用の技。技だから大学に入ってすぐにその技術の精密な学びに入る。その矢先に、〈いのち〉と身体について、このような広がりと奥行きのある見方を突きつけられたのだから、ひどく混乱したにちがいない。いや、芸術のように、世界をもっと別なふうに構想し、組み立てなおすという作業にこれから取り組むはずの学生にとっては、従来じぶんがもっていた感覚や判断を大きく揺さぶり、ぐらつかせる、困惑というよりむしろ陶酔の時間だったにちがいない。

 

「自分の感覚や判断を大きく揺さぶり、ぐらつかせる」、そういう刺激が陶酔に近いものというとらえ方。こういう学びのあり方を、本校でもどんどんやってほしいなと思います。

鷲田氏のコメントは、もう少し続きます。それは、また明日。

今日は、このへんで。