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終業式あいさつ

昨日、本校では、終業式があり、大講義室から教室にいるみなさんに下記のとおりメッセージを読み上げ、配信しました。

せっかくなので、改めて掲載します。なお、下で紹介している短歌は、昨日の段階で紹介できなかったものです。また、地学基礎の感想を紹介したのですが、それを書いてくれた生徒は、実は小論文コンクールで入賞を果たしており、直前の表彰伝達で、賞状を渡した生徒だとわかりました。目の前で、自分の書いたものが読み上げられ、びっくりしたそうです。しかしながら、やはり小論文で入賞するだけあって、書く力は相当なものです。今後、ますますの精進を期待します。

 

    030324  終業式 校長講話

                   令和3年3月24日(水)

 

みなさん,おはようございます。校長の遠藤です。

終業式なので,1年の振り返りです。この1年,みなさんにとって,というより,誰にとっても窮屈な1年でした。それは1年次のみなさんが朝学習の時間に詠んだ短歌に如実に示されています。先月2/26,河北の夕刊コラムでは「マスクごし名前も顔もいまだ分からず気持ちはいつも初登校日」や「見てみたいマスクの下のその笑顔ほんとはどんな顔で笑うの」などの短歌が紹介されました。みなさんにとって高校時代の1年1年は,人生の宝物。その期間を窮屈に思わせるのは,こちらにとっても本当に残念です。

しかしみなさんの協力により,本校ではなんとか学びを大きく止めることなく,ここまでやってこれました。新しい出会いがあり,学びのスタイルの進化があり,また先輩方はりっぱに進路実現を果たしてくれました。

それでも,みなさんに,ひとつ注意を促したいと思います。よく聞いてください。

先週,この宮城県において,県独自の緊急事態宣言が出されました。本県は,新型コロナ感染症拡大防止策を打っているところではありますが,拡大傾向は止まらず,独自の緊急事態宣言を出すことになりました。

みなさんの学びが今,たいへん危うい状況にあります。今後も,みなさんの学びと感染防止を両立させたい,そう思います。

自他の命を守るために,自分も含めて命ある人,大切な人たちの命を守るために,一人ひとりに,強い自覚を持った行動,新しい生活様式の徹底をお願いします。

また,先週は,2月に続いて再び大きな地震がありました。本県は2月3月と二度大きな地震に見舞われたのです。いつ何時やってくるかもしれない大地震。この自分が,この時間,この場所で大きな地震に遭ったらどうするか,もちろん過度に不安に思うことは,萎縮につながりますが,リスク管理について,それぞれが強い自覚を持つこと。何度も同じことを言うようですが,これらの点をまずは,みなさんにお願いしておきます。

 

さて,この1年,窮屈な中にあっても,みなさんは様々な学びを展開してきました。その中で,たいへん参考になるものがあります。地学基礎の授業のしめくくりに,みなさんが感想を書いたものです。少し読んでみます。

 

対話や過程を大切にする授業なので,思考の楽しさや,暗記だけでなく道のりも含めた本当の知識として吸収できたと思います。間違いを否定せず,ヒントにつなげたり,先生と一緒に考える授業は楽しかった。楽しみながらも,気づくと自分が発言できる人間になっていたところが,自分の大きな変化であり成長かなと思っています。また,1つ1つ疑問を潰していったり,あるいは自分で疑問を見つけたりといった癖がつきました。

 

学びのスタイル,スタンスについて。おそらく,ただ単に暗記するのではなく,またいきなり答えを出すのでもなく,いったん立ち止まって,深い学びにつなげていくこと。みなさんの学びがたいへん深まっていることを実感した次第です。なお,令和4年度からは新学習指導要領が高校現場でスタートします。各高校においては学びのスタイルの進化が図られており,本校においてもPSやFTをはじめとして,大きな改革の準備をどんどん進めていきます。協力,よろしくお願いします。

さて,学びのスタイルについて,ひとつヒントです。

 

よく言われることが複眼的思考の大切さです。私はもうひとつ別な表現で,自分の中に他人を住まわせることと言っています。ものの見方,考え方,問い方について,今,自分の見方,考え方,問いの立て方について,それを違う角度から捉え直すこと。自分が正しいと思っていることについて,一歩引いて見ること。違う角度から見てみること。そうしたときに,ものが,世界がどのように見えてくるか,そこにワクワク感をもちながら,学び続けること。ワクワク感は,薫堂先生から教えていただきました。。

私のもう一人の大好きな鷲田清一先生は,思考にためをつくりなさいと言われました。ボールがきたから反射的にバットが出ると,チェンジアップやフォークボールだったりして,からふりになってしまいます。よくボールを見極めるために,振りに出る前に,タメを作ること。川崎先生や大場先生が好きな野球にたとえればそんなふうになります。大場先生には怪我をさせてしまいました。私が悪かったです。すみません。

 

さて,国語的にひとつ,話を加えます。先日,国語の先生方からリクエストがあったのですが,みなさんに向かって最初で最後の授業です。

みなさんは,これからの人生で,たくさんの経験,良いこと,悪いこと,いっぱい,します。

自分のポリシー,人生観,道徳観,善悪の判断基準に則って,きちんと行動できればいいのです。

いいのですが,やむなく,しかたなく,どうしようもなく,それに反する形でしか,動けない場合があります。高校生のあなた方だったら,ピーンと気づくと思います。

そういうとき,自分をどう処罰していけばいいか。なかなか良い答えがみつかりません。簡単に見つかりませんが,そういうときに,小説や詩歌が参考になるかもしれません。

少なくとも,良い質の作品を書こうとしている小説家は弁解,弁護はしません。時には主人公を,あえて嫌われるように書きます。徹底して。弱さの塊,嫌われる人として主人公を描きます。

それがいいのか悪いのか,私にはわかりません。ただ,生きていく上でしんどい瀬戸際に立たされたとき,私たちにとって何かの参考になるかもしれません。

 文化芸術,文学には,もちろん美術でも音楽でも,映画でも演劇でも,写真でもかまいません。もろもろの文化芸術には,自分のような弱いものでも,生きていきたい,生きる場所を求めたい,と思ったとき,こういう道もあるんだよとささやいてくれるものがあります。それが自分にとっての文学です。天国への表階段ではありません。裏の階段です。人の気持ちのわかる,幅の広い大人として成長していくことをみなさんに期待します。

今年は春が早いです。始業式・入学式の頃には,教室から見えるハナモモの花がきれいに咲いていると思います。3年度も,しっかり学んでください。

 

 

以上です。

今日は、このへんで。