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2020年2月の記事一覧

「詩の器」

今日2/5は、国公立大学個別学力試験(前期・後期)の出願締切日です。3年次の生徒で、国公立大学に挑戦する者たちは、みんな出願手続きが完了したと思います。出願先が確定したからには、あとはまず2/25の前期試験まで一生懸命やるだけです。もちろんその間に私大の入試がある者もいるはず。それぞれの受験カレンダーに従って、体調を崩さず、一日一日を大切に過ごしてほしいです。そのためにも学校で頑張ること。最後まで学校の授業にしがみついた者に栄冠が輝いてきたことは、先輩たちが証明しています。みなさんの粘りと根性を期待しています。

 

 さて、昨日は夏目漱石の『永日小品』の一節「火鉢」のタイトルだけで終わりました。自宅に帰って開いてみると、ありました。その「火鉢」の話は、このような内容です。

 

鉛のように曇った底冷えのする冬の一日、漱石は書斎で寒さにすくんでいる。とても机に向かう気になれない。そんなところへ次々にいろんな人が訪ねてくる。みな借金や身の上話ばかりである。やりきれなくなって漱石はとうとう銭湯へ行く。湯からあがって、せいせいして家に帰ると、書斎に洋燈がともり、火鉢に新しい切り炭が活けてある。妻が蕎麦湯を持ってきてくれる。

 

その後の文章を紹介します。

 

 「妻が出て行ったらあとが急に静かになった。まったくの雪の夜である。泣く子はさいわいに寝たらしい。熱い蕎麦湯を啜りながら、あかるい洋燈の下で、継ぎ立ての切り炭のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い火気が、囲われた灰の中で仄かに揺れている。時々薄青い炎が炭の股から出る。自分はこの火の色にはじめて一日の暖か味を覚えた。そうして次第に白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。」

 

 これで「火鉢」の話は終わりです。森本さんは、漱石の『永日小品』のこの一節を読んで、こんなふうに感想をかきとめます。

 

 こんな暖かい文章を私は読んだことがない。読めば読むほど、火鉢の暖かさがこの一文からつたわってくるような気がするのである。ほんとうに暖かいというのは、こういうことなのではなかろうかと思う。

 

 続けて森本さんは、漱石の作品の中に、火鉢がいたるところに出てくることを紹介し、最後に、蕪村の「火鉢」の句を紹介します。

 

 埋火(うづみび)や終(つひ)には煮(にゆ)る鍋のもの  蕪村

 

 埋火(うづみび)や春に消行(きえゆく)夜(よ)やいくつ   蕪村

 

ひとり小さな火鉢に倚りながら、彼はおそらく灰を火箸で掻きならしつつ、冬の一夜一夜がこうして春に向かって消えてゆくのをじっと見送っていたのであろう。火鉢は、そのような想いを托することのできるすばらしい「詩の器」でもあったのである。

 

今回の古本市において、この森本氏の本に出会えたことに、無上の喜びを感じます。

 

さて、森本氏は「火桶」の句を最後に紹介しています。

 

桐火桶(きりひをけ)無絃(むげん)の琴(きん)の撫(なで)ごゝろ  蕪村

 

 

今日はこのへんで