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校長通信

東日本大震災・・・追悼

 今日3/11、あの東日本大震災の発生から8年を迎えます。辛く苦しい歩みの8年。人の心のあたたかさに涙した8年。今朝の河北新報トップには、空から映した、生まれ故郷が大きく出ていました。震災翌日に中学校屋上から見た故郷は、変わり果てていて、この世のものとは思えず、言葉を失いました。それから8年。盛り土された土地に災害公営住宅が建てられ、新しい道も作られ、小中一貫の学校が開校しました。まもなくオープン予定の商業施設も形を整えつつあります。全国の方々から、たくさんのご支援をいただきました。改めて、感謝したいと思います。

 

無念にも、あの日犠牲になった方々が大勢います。心より哀悼の意を捧げ、防災意識を高く保持し、後の世代に語り継いでいきたいと思います。             

                                                      

合 掌

 

 

 

「生きものとは何か」

 昨日、関東ではお天気が急変し、雹が降ったとか。ニュースでは、箱根で観光客が逃げ惑う姿が映し出されていました。春先の天気は怖いですね。まだまだ用心が大事です。

 さて、今日、明日は県内各地で中学校の卒業式。合格発表の前に、3年生は学び舎から巣立ちの時を迎えます。今日、卒業式を迎えたみなさん、また明日卒業式を迎えるみなさん、おめでとうございます。義務教育を終えるみなさんの未来に、幸多かれと祈りたいと思います。

 

 今日は、先週末の本屋さん通いで、手に入れた新書を一冊紹介します。

 ちくまプリマ―新書の「生きものとは何か」。本川達雄さんの書いたものです。副タイトルは「世界と自分を知るための生物学」。この「ちくまプリマ―」は、初学者向けのシリーズですが、本書は、ページ数300を超える大作。私にとっても「プリマ―」どころではなく、間違いなく読み応えのある本です。

 

 でも、生物大好きの私にとっては、とても興味を引く本です。せっかくですから冒頭の序章の一部を紹介します。本川先生がなぜ生物学に進んだか、丁寧に説明してくださいます。大学の学部選び、専門選びに迷っている生徒のみなさんにとって、とても勇気をもらえるところです。少し長くなりますが、紹介します。

 

  「ぼくは生物が嫌いだった」

 

 「生物がお好きなんでしょう?」とよく訊かれる。生物学などという浮世離れした学問をやるなんて、よほどの生きもの好きだと思われるようだ。それも道理。

  中略

 

 ところが私は生きものは好きではない。殺生は嫌いだし、イモムシは写真を見ただけでもぞぞぞーっと虫ずが走る。なのになぜ生物学者になったのか。

 

  中略

 

 高校二年の時に進路を決めねばならない。理科系が得意な生徒は工学部に進んで物を作り、文科系の得意な生徒は商・法・経済学部に進学して作った物をどんどん売ろうというのがおおかたの選択だった。そこで、はた、と考えてしまったのである。これ以上豊かになる必要があるのだろうか? 豊かになるのは悪くはないのだろうが、何も全員、そろいもそろってそっちの方角に走って行くこともないだろう。一人くらい、直接は世間の役に立たないことをやる人間がいてもいいのでないか。

 実務に役立つ学問が実学、「役に立たない」学問が虚学。虚学をやろうと思ったのである。となると進学先は文学部か理学部。学生服のポケットにいつも小説や詩集の文庫本が入っている生徒だったから、文学が嫌いではなかった。しかし当時の私には、文学部とは心のことばかりを扱っていて、どうにもやっていることが偏っていると感じられた。では理学部はどうか。当時のよくできる生徒はみな湯川秀樹や坂田昌一にあこがれ、素粒子を研究しようと物理学科に進学した。これもやっていることが反対方向にものすごく偏っている。

 そういう事態に納得がいかなかった。一方は心ですべてが分かると言い、他方は基本の粒子である素粒子・原子・分子ですべてが分かると主張している。心と素粒子とは両極端。どちらか一方だけで世界全体が理解できるとはとても思えない。

 そこで全世界を見渡しながら、世界や、その中での私自身を理解したいと考えた。心と素粒子の中間の位置に立ったなら、全世界を見渡せるのではないか。中間の位置とは生物学あたりではないだろうか見当をつけ、生物学科に進学した。

 ところが分子生物学が隆盛になってきた時代であり、生物学においても、生体分子や遺伝子という基本粒子で生物を理解しなければ時代遅れだとする風潮だった。現代ではさらにその傾向が強まっている。それでもなんとか初志貫徹。この五〇年間、世の風潮に逆らい、中間の立ち位置から「古典的生物学」を研究してきた。そういう「古くさい」人間が、生物をどんなものとして理解したのかを書こうと思う。

 

 

という調子でスタートします。「古くさい」人間が、頑固にこだわって、どんなことがわかってきたのか、そのへんが興味深く書かれています。私もこれから読み始めるわけですが、本川さんは、かつて『ゾウの時間 ネズミの時間』を書き、ベストセラーになった人。生物学の先生ですが、なぜか長く東京工業大学に勤務されました。モノ作りの研究をする学生に生きものの世界を延々と語り続けてきたわけです。これだから大学は、オモシロイと思います。

 ぜひ、本書で学問の世界の「遊び心」の一端をのぞいてみてください。

 

今日は、このへんで。

 

 

 

 

 

 

髙橋一生氏の文章から

天気予報どおり、朝から一日中雨でした。そういう天気の中、美術科の受験生が朝早くから続々と集まり、受付終了時間よりだいぶ早くに全員が集合完了。すごいですね。みんな午前中の実技試験に一生懸命取り組んでいました。お疲れ様でした。

 さて、本屋さんを先週末にのぞいたら、村上春樹様の「騎士団長殺し」が早くも文庫化(新潮文庫)されて発売になっておりました。小生、単行本が出たときにすぐ買って読んだので、今回はパスにしたのですが、新潮社のPR誌「波」3月号に俳優の髙橋一生様が「『騎士団長殺し』に出会う」と題して、感想めいたものを寄稿しています。すごいですね。最近、テレビや映画で大活躍の髙橋一生様が村上春樹様の大ファンだとは・・・。う~んと唸ってしまいます。でも、実はとてもお似合いかもしれません。良き俳優に良き小説家が寄り添っている。いや実は、良き小説家に良き俳優が寄り添っている。そんな気がします。書き出しの1行目。

  読んでいる時、音が鳴っています。

 

こう、きました。「鳴っていました」ではなく、「鳴っています」と現在形。髙橋様は、相当な書き手のような気がします。そう確信しました。読ませます。次のセンテンスは、こうです。

 

 それが何の音なのか。昔聞いたことがある懐かしいものなのか、初めて耳にした新しい音なのか。

 読了後も、その音は止むことがなく、自分の日常に溶け込んでくるような、静かでいて、それでも芯の通った音。

 村上さんの小説からは、いつもそんな音が聞こえてくるようです。

 

 うまいですね。読ませます。思わず引き込まれてしまいます。この後、『象の消滅』や『レキシントンの幽霊』を愛読した話が出てきます。でも、髙橋様にとって、『騎士団長殺し』は、「そんな今までの自分の体験を、今まで通りのようでいて、まったく別なものにしてくれました」と語っています。

 

では、『騎士団長殺し』から、高橋様はどんな思いを抱いたのでしょうか?

こう書いています。

 

読み始めた最初のうちから〈私〉は僕でした。

この感覚は初めてのものでした。

 

〈私〉とは、『騎士団長殺し』中の〈私〉。つまり、「〈私〉は僕でした」とは、小説の語り手として出てくる主人公の〈僕〉が、そのまま髙橋様自身と重なったということです。

 

髙橋様は、さらにこう書きます。

 

〈私〉が物語のはじめの方で経験する、ある喪失がそのまま僕の喪失そのもののように感じたことも、その感覚を強くしたのかもしれません。

 

少しとんで、さらに髙橋様は、こう続けます。

 

僕は『騎士団長殺し』に出会う少し前に《失ってしまったもの、あるいはその時選んで失ったものが、かけがえのないものだったとわかった時には、取り返しがつかなくなっている》という、今まで経験した覚えのない喪失を経験していました。そんなあれこれも相まって、益々〈私〉は僕になっていきました。

 

久しぶりに、力のある村上ファンに出会いました。

 

髙橋様は、この寄稿文の最後をこんなふうに閉じています。

 

今この瞬間も、村上さんが紡いできた静かな力が僕の背中にそっと力を添えてくれています。

 

新潮社のPR誌「波」3月号は、大きな書店に行くと、カウンターに置いています。お金は普通とりません。

 

興味があったら、どうぞ。

 

今日は、このへんで。

 

啓蟄・・・後期の高校入試が実施されました

  今日は、後期の高校入試が実施され、本校にも朝早くからたくさんの受験生が駆けつけてくれました。幸いあまり寒くなく、夕刊の記事によると、正午までの仙台の最高気温は12.7度。雲が多かったものの、過ごしやすい一日でした。今日は二十四節気の「啓蟄」。暖かくなって、冬の間、地中に隠れていた虫さん達が地上に出て来るころ。暦の上でも、春がすぐそこまでやってきています。受験生のみなさんにとっても、うれしい春が訪れるといいですね。美術科のみなさんは、明日も試験があります。天気予報では、うらめしいことに、冷たい雨の一日になりそう。気温もあまり上がらないようです。防寒対策をきちんとして、気をつけてやってきてください。

自宅の庭では、スイセンが咲き始めました。一番お日様があたるところで、毎年最も早く、黄色くて小さな花を咲かせます。今日、生徒昇降口にも、スイセンの花を植えたプランターが何個か置いてありました。受験生のみなさん、気づきましたか? 今度、合格発表を見にくるときは、ぜひ見つけてくださいね。

今日は、このへんで。

 

「癒しの花瓶」

 高校入試(後期)の前日です。生徒のみなさんに念入りに清掃をしていただき、午後からは先生方で準備作業。明日は、天気もよさそうです。受験生のみなさん、気をつけてお越し下さい。みなさんが、これまでの勉学の成果を思う存分発揮されることを祈っています。

 

昨日、美術科の生徒が校長室にやってきて、作品をどうぞ置いてくださいとのこと。うれしいですね。作品名は「癒しの花瓶」。1年次の近藤さんの作品です。常日頃、私が「癒し」を求めていることをよく知っているのですね。写真のとおりです。近藤さん、ありがとうございます。校長室の新たなマスコットです。

今日は、このへんで。

 

 

 

卒業式 式辞

 天気予報は、曇り時々雨。そのとおり日中、弱い雨になりましたが、お湿り程度でした。こちらの雨は、さほどでなかったのですが、東京のほうは、昨日から雨降りだったようです。3/3のひなまつりは、「東京マラソン2019」。冷たい雨の降る中で、たくさんのランナーが走っていました。自分の大先輩も見事当選したとかで、走っていたはずですが、昨日の天気で、さてどうだったでしょうか。風邪をひかれたりしていないか、心配です。改めて後日、聞いてみようかと思います。

さて、3/1の卒業式。卒業生のみなさん、また保護者やご家族のみなさん、改めまして、おめでとうございます。

さらには、3/1の日に、この通信に書けなかったのですが、PTAのみなさんが食堂でPTAカフェをやってくださいました。大盛況でした。お忙しいところ、たくさんの方々が応援に駆けつけてくださいました。ありがとうございます。私も一杯、ごちそうになりました。コチコチに固まっていた緊張感がほぐれてきて、とてもおいしかったです。

 

さて、せっかくなので、卒業式の式辞を掲載します。受験等で仕方なく欠席された卒業生のみなさん、これで勘弁してください。

 

              式     辞

                 

 本校グランド脇にある梅の花のつぼみがだんだん膨らみ始め、少しずつ近づいてくる春の足音に心を躍らせる本日ここに、本校PTA会長柴田つが子様をはじめ、多数のご来賓の皆様と、保護者各位のご臨席を賜り、平成三十年度卒業式を挙行できますことは、私ども教職員一同、大きな喜びとするところであります。

 ただ今、卒業証書を授与しました三学科合計二百七十一名の卒業生のみなさん、ご卒業、おめでとうございます。

 また、今日までこの上ない慈しみをもってお子様の成長を支えてこられた保護者のみなさま、またご家族のみなさまに心からお祝い申し上げます。

 さて、卒業生のみなさん、本日の卒業式にあたって脳裏をよぎるものはなんでしょうか。私にとってみなさんと過ごしたこの一年の一コマ一コマが、今、走馬燈のようによみがえります。

 五月の体育祭。その開会式に思い思いの服装で臨むみなさんは、本当に楽しそうで、その個性の輝きに私は深く心を動かされました。本校が創立以来大事にしてきたものがここに表現されている、強くそう実感しました。七月の文化祭。その閉会式で、三年次のみなさんが、一年次二年次の後輩に向かって、「ありがとうございました」と大きな声で感謝の気持ちを伝えました。感謝の念をきちんと心を込めて言葉に表すという、人としてきわめて大事なことを、みなさんは自分たちが考えた形で表現しました。どの学校にも負けない、すばらしいフィナーレでした。九月にはPSの発表会がありました。本校での学びの総仕上げとも言えるその発表会では、着眼点や発想に学びの楽しさがまぶしいほどに感じられました。十一月には美術科の卒業制作展がありました。個性あふれる一つ一つの作品が見る者に大きな感動をもたらしました。昨今「主体的・対話的で深い学び」が声高に叫ばれますが、各行事のみならずふだんの授業においてもみなさんはそれを見事に先取りして「深い学び」につなげておりました。

 この二月には、卒業生のみなさんの活躍を象徴するかのように、うれしいニュースが入ってきました。美術科の岩渕伶奈さんが、高校生読書感想画コンクールで見事全国最優秀の文科大臣賞を受賞したのです。その岩渕さんはこう言っています。「私が学んだことはネット社会の現代だからこそ自身で体験し、五感で受けとめる大切さだ。写真として残らない場面は記憶として筆者の心身に鮮明に刻まれているだろう。そんなワンシーンをサングラスとカメラに映した。」

ネット社会だからこそ、自分自身で体験し、それを五感で受け止めよう。心のシャッターを切って、大切な記憶として心に刻まれているもの、それを大切にしよう。岩渕さんはそう言っているように思います。たとえデジタルデータとして残っていなくても、この宮城野でみなさんは心のシャッターを何度も何度も切った、そう思います。目をつぶって、ひとつひとつのシーンをどうぞ思い出してみてください。それは、みなさんがこれから歩んでゆく人生の大きな支えとなるに違いありません。

 さて、みなさんの船出してゆく社会、それは激しく変化する時代です。グローバル化や超高齢化等、解決の難しい問題が数多く待ち受けています。そういう時代にあって、本校の卒業生らしいスタンスとは何でしょうか。

 そのヒントを、先日、ある大学の先生からいただきました。その先生は、「デザインとは、問題を解決するために何かを作り上げる行為であり、それによって人を幸せにするものである」、そういうふうに教えてくれました。

忘れかけていた「しあわせ」という言葉がありました。これはみなさんにぜひとも考えてほしいことです。私たちがそれぞれの未来に向かって歩んでゆくときに大切なもの。それは一人一人が「しあわせ」になること。しあわせになるために「未来」をデザインしなければならない。自分の未来、家族の未来、隣にいる友達の未来、恋人の未来、この宮城、東北、日本の未来、世界の未来、人類の未来、一人一人が輝く未来とは、それぞれがしあわせになること、そのための栄養分、手立て、工夫の仕方、言うなれば、「未来デザイン術」、「しあわせのデザイン術」を、この宮城野でみなさんは確実に学び取りました。自信をもって未来に歩み出してほしいと思います。

 保護者のみなさま、改めましてお子様のご卒業、おめでとうございます。卒業生の活躍を見る機会は、最上級生としてのこの1年間だけでしたが、強烈な印象を残してくれました。これから進学する者、就職する者、道はそれぞれですが、おそらくそれぞれの場所で光輝く人材になってくれると確信します。大いに頼りにしてください。

 最後になりましたが、ご来賓のみなさま、お忙しいところ、お越しいただきましてありがとうございます。卒業生にぜひとも励ましのお言葉をお願いします。

 さて最後にみなさんにお伝えしたいものがあります。本校正門を入って右側に大きな記念碑があります。大文学者島崎藤村の「藤村詩集」の序を引用し、このような一節が刻まれています。

   明治二十九年の秋、私は仙臺へいつた あの東北の古い静かな都会で私は一年ばかりをおくつた 私の生涯はそこへ行って初めて夜が明けたやうな気がした。

そうして藤村は「心の宿の宮城野よ」と、この宮城野への愛をうたいあげました。藤村にも心のシャッターを切ることが何度もあったはず。その藤村と同じように、みなさんもそれぞれに心のシャッターを何度も切り、本校が永遠の心の宿、宮城野として深く心に刻みこまれた、そのように強く確信するとともに、改めてみなさんの未来に幸多かれと祈念し、式辞といたします

          平成三十一年三月一日

              宮城県宮城野高等学校   校長 遠 藤 吉 夫

今日は、このへんで。

 

 

最高の卒業式でした

お天気にも恵まれ、おかげさまで、華やかに、そしてまた厳粛に卒業式を挙行することができました。

卒業生のみなさん、改めまして、おめでとうございます。

みなさんの未来に幸多かれとお祈り申し上げます。

 

同窓会入会式

  天気予報どおり、お昼頃に雨がぱらつきましたが、夕方にはすっかりあがりました。春雨が大地をしっとりと潤して、明日は気持ちの良い朝を迎えられそうです。よかったです。

 さて、卒業式前日です。30分×3コマの授業(答案返却)の後、大掃除をして会場設営。そして午後から表彰伝達と校歌練習、卒業式の予行と続き、その後卒業生だけで同窓会入会式が行われました。

 その入会式の際、卒業生に話した内容(概要)を紹介します。時間がなかったので、省略した箇所もあわせて紹介します。

 

同窓会入会式 挨拶

 

明日、卒業式を迎える3年次生のみなさん、本校同窓会入会、おめでとうございます。

忘れないうちに、お願いしておきます。ただいま、副会長の柴田さんから挨拶があったように、25周年記念式典があります。平成32年10月30日(金)の午後、サンプラザを会場にして行います。

式典は32年10月30日(金)の午後、サンプラザです。ぜひ参加してほしいと思います。

 さて、卒業するみなさんに紹介したいものがあります。先生方に聞いたら、たぶんみなさんは、あまり教えられていないだろうということでした。もったいないので、お伝えします。

 本校の「学校要覧」、この要覧は、普通生徒のみなさんに配るものではないので、やはりなかなか見る機会がないと思いますが、これはぜひとも卒業後、たとえば他校出身の方に、本校を紹介する際に、活用していただけたらと思います。

学校要覧は、現在創立24年目ですから、24号目になりますが、代々この表紙にパウル・クレーの「グラジオラスの静物」という絵を利用しています。ちなみに宮城県美術館所蔵の作品です。クレーは「色彩と線の魔術師」と言われるとおり、いろいろな色を使って、グラジオラスを表現しているのですが、一見、雑然と見えるかもしれません。規則性はほとんどありません。でもじっと見ていると、何かしら全体に調和が感じられてきます。

 たとえば、本校を知らない人に、本校を紹介する際、「個性を大事にする学校です」と伝えるとします。それでわかる人はわかるかもしれませんが、やはり絵、画像がほしいです。そういう時、このクレーの絵を活用するのです。今の時代、ネットで検索してスマホに保存しておけば、すぐ相手に見せることができます。

 ちなみに、裏表紙に書いてあるコメントを紹介します。自分は、こういう学校を卒業しましたと人に伝えるときの参考に紹介します。

 

この絵の中のさまざまな色や形は生徒一人ひとりをさしているとお考えください。この絵のように、それぞれの生徒がそれぞれの色や形に美しく輝く、これを支えるのが宮城野高校の仕事だと考えます。欲をいえば、この絵が全体として調和しているように、宮城野高校も全体として調和できていればいいと思います。でも、これは二次的なもの、まず第一は、生徒一人ひとりが輝くことです。表紙の絵をこんな思いで選びました。

 

よろしいでしょうか。私から、同窓会入会にあたって、みなさんへのプレゼントです。自分の母校をふりかえるとき、この絵をじっと眺めて、たくさんの輝くような個性あふれる友がいたなあと思い出してください。

 

さて、ここからは、省略したところです。

 

宮城野白書についてです。

私は巻頭言で「舞姫」について書きました。みなさんに向かって最初で最後の授業のつもりで。

これからの人生で、たくさんの経験、良いこと、悪いこと、いっぱいあります。

自分のポリシー、人生観、善悪の判断基準に則って、きちんと対応できればいいのです。

いいのですが、やむなく、しかたなく、どうしようもなく、それに反する形でしか、選択できない場合があります。そういうとき、自分をどう断罪、ことばが強すぎるのであれば、自分をどう扱っていいのか、自分とどうつきあっていけばいいのか、わからなくなるときがあります。

なかなか良い答えがみつかりませんが、「舞姫」がもしかしたら参考になるかもしれません。

少なくとも、鷗外は弁解、弁護、しなかった、あえて嫌われるように書いた、徹底して。

弱さの塊、嫌われる人として豊太郎を描いた、それがいいのか悪いのか、わかりません。

ただ、そういう瀬戸際に立たされたとき、少しばかり参考になるかもしれません。

 

文学というものは、自分のようなものでも、どうにか生きていきたいと思ったとき、こういう道もあるんだよとささやいてくれるものがあります。

 

早く、そういう作家、小説と出会ってほしいなあと思います。

 

まずは、同窓会入会、おめでとうございます。

 

 

今日は、このへんで。

 

宮城野白書

 昨日で定期考査が終わり、在校生は今日明日と30分刻みの時程で考査返却です。今日は7コマ、明日は3コマ実施され、その後はいよいよ卒業式の準備となります。

 在校生は、定期考査が終わったので少しリラックスした表情でした。そういう在校生から、卒業生への配布物となる「宮城野白書」をいただきました。編集に携わったボランティアのみなさん、お疲れ様でした。小生の巻頭言は、たっぷり2ページ分、書かせていただきました。卒業生のみなさん、ぜひ読んでくださいね。もちろん在校生もです。明日は、「宮城野高校新聞」も配布されるとか。少しにやついて写真を撮られてしまったようです。恥ずかしいです。みなさん、ごめんなさい。

 バタバタしているうちに、卒業式の式辞がなんとか完成。つっかえないように自宅で練習してきます。明日は、まず同窓会の入会式。いよいよ本番です。卒業生のみなさん、いまのところ、当日は雨ではないようです。雨男をすっかり返上です。みなさんのおかげです。

 今日は、このへんで。

 

是枝裕和氏・・・「ヌガー」

 第4期定期考査が終わりました。生徒のみなさん、お疲れさまでした。手応えは、いかがだったでしょうか? 終わったからといって、安心することなく、次の学びに進んでほしいと思います。3月は、後期入試期間が続くため、登校が必要でない日が長く続きます。計画的に学習を続け、新年度につなげてほしいと思います。さらには、この3月は、教科書から離れた学習も必要かもしれません。長い小説にチャレンジするというのもよろしいかと思います。

 ちなみにです。昨日今日と、国公立大学の二次試験がありました。ネットで見ると、主な大学の二次試験の問題を見ることができます。国語科の教師としてしばらくやってきた自分としては、やっぱり見てしまいます。

 ということで、たとえば京都大学の国語の問題には大岡信と谷川俊太郎の対談『詩の誕生』からとられています。文章自体は、対話文ですからとても平易です。読みやすいです。その分、詩というものに対する一定レベルの理解が必要です。

 一方、東京大学です。有名な大問四。今年は、是枝裕和氏の『ヌガー』からとられています。エッセイに近い文章です。「迷い子になった。」で始まる、ある意味で「迷い子」についての是枝氏の考え方がエッセイ風に書かれています。ところで、是枝裕和氏と言われて、すぐ「万引き家族」が思い浮かぶでしょうか? 氏は、もちろん「万引き家族」を作った映画監督です。日本時間で、アカデミー賞が昨日発表でした。期待されていたのですが、残念ながら受賞を逃しました。でも、今、日本で、というより世界中から注目される映画監督の一人です。その方のエッセイが東京大学の二次の問題に登場しました。これだから、本読みはやめられません。映画もまた。この是枝氏の文章を問題文として採用した東京大学に敬意を表したいと思います。大問四の精神は、しっかり継承されています。

せっかくだから、問題文の後半部分を紹介します。

 

 前半 略

 

 迷い子になったときにその子供を襲う不安は、両親を見失ったというような単純なものでは恐らくない。それは、僕のことなど誰も知ることのない「世界」と、そしてその無関心と、否応なく直面させられるという大きな戸惑いである。その疎外感の体験が少年を恐怖の底に突き落とすのだろう。自分を無条件に受け入れ庇護してくれる存在の元を離れ、「他者」(それが善意であれ、悪意であれ)としての世界と向き合う――人が大人になっていく過程でいずれは誰もが経験しなくてはいけないこのような邂逅を、予行演習として暴力的に体験させられる――それが迷い子という経験なのではないだろうか。だからこそ迷い子は、産まれたての赤ん坊のように泣き叫ぶのだ。たったひとりで世界へ放り出されたことへの恐怖から、これでもかと泣くのだ。そして、どんなに泣いても、もう孤独に世界と向き合っていかなくてはいけないのだと悟った時、少年は迷い子であることと訣別し、大人になるのだと思う。その時を境にして、母は、自分を包み込んでくれる世界そのものではなく、世界の片隅で自分を待っていてくれるだけの小さな存在に変質してしまう――。かつて迷い子だった大人は、そのことに気付いた時、今度はこっそりと泣くのである。

 

後半  略

 

問一 ~ 問三 省略

問四 「今度はこっそり泣くのである」とあるが、それはなぜか。説明せよ。

 

この問四に対して、どんな解答が可能なのか。受験生は、どんな解答を書いてくるのか。採点官の快感や、いかに。

 

今日は、このへんで。